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兆候 ~1年前~ [兆候]

 毎年花粉症が始まる2月初旬からうつ状態となり、7月頃に良くなるというのを繰り返すようになりました。花粉症が終わると最悪期を脱することはできましたが、不安感と頭痛、それに疲労感は完全に消えることは一度もありませんでした。

 何度も繰り返すうちに、この頭痛は通常のものではないと気づき始めました。眉間と頭の奥のほうがジンジンとうずきます。そして頭に膜がはったような感じがしてすっきりしません。さらに不安感と思考が頭の中でグルグルと回りだします。この状態で仕事でうまくいかなかったり怒られたりすると、もうあり得ないくらいの怒りがこみ上げてくるのです。怒りを抑えるだけでもものすごく精神的に消耗します。怒り、不安感などそのときどきの思考が頭の中でグルグル回ります。これらの症状を自分は「頭のジンジン」「思考のグルグル」と呼んでました☆

このような状態でも毎日会社には通ってました。しかも周囲の人間と比較してもミスが少なく仕事ができるようになっていました。不安感を逆にフルに活用して仕事に役立てていたのです。普段不安感があるので、仕事に対してはかなり細かく用心深くなっていました。

自分はラインのとりまとめをずっとやってましたが、4~5人の部下を持つようになりました。もちろん責任が重くなっていくことを自分が望んだわけではありません。自分の体がいつ破たんするかわかりませんから。でも仕事ができる人間にどんどん仕事がくるような会社なのです。毎日必死で仕事してましたが、本当に疲れ切っていました。休日にいくら眠っても疲労感は全く取れませんでした。

 さらに長女が誕生し、家でも育児という仕事も増えました。家で一人考え事をしたり、好きなことをする時間も取れなくなりました。買い物など休日に出かけるのもつらい状態です。楽しいこともありましたが、疲れきっている自分です。頭痛、不安感、疲労感と自分はどんどん追い込まれていきました。

 会社の周囲も騒がしくなってました。フロア全体で100人くらいいましたが、二年間で5名の方が亡くなったのです。大半は病気ですが、若い方もいました。うつで休職中の人も2人います。イラクに駐留していた自衛隊員は全員無事帰ってきましたから、もう会社という立派な戦場です。健康であればやっていけるのでしょうが、ひとたび健康を害するとひとたまりもありません。

 事件はそんなさなかに起きました。







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兆候 ~3年前~ [兆候]

 このころの自分は頭痛とめまいで毎日調子が悪く、何かと不調を訴えてました。特に花粉症の季節になると毎年きまってうつの症状がひどくなります。四六時中不安感がつきまとうのです。普段ですらつらい状況ですから、会社でちょっとした発表があるともう死ぬ思いで会社に通ってました。前日にはノートに話すことをまとめて夜一人で会議室で練習です。でもそうやって練習しても、いざ本番になると話している途中で足が震えてしまいます。

通常であれば、話をしているうちにその場に慣れてどんどんラクな気持ちになっていくはずなのに、逆に不安感が強くなってしまうのです。それも病的なほど強いものにです。

 花粉症が終息する5月になっても不安感は収まりません。頭痛、目の痛み、不安感それぞれ症状はひどくなっていきます。ある日、中途採用の年配の人に自分のグループの業務内容を説明することになってました。その時間が近づくにつれて心臓がバクバク言い出したのです。心拍数が上がって、手が震えてきました。まるで恐ろしい敵がやって来るからその場から一刻も早く逃げ出したい、そんな感じです。まさに原始人が猛獣と出くわした時に起こる生理現象と同じなのです。汗だくになりながらもなんとか説明し終えましたが、もう訳がわかりませんでした。

私は、妻の協力を得てゴールデンウイーク中ずっと寝て過ごすことにしました。実はその前の年に私は結婚していました。ここまで読まれた方は「うつ状態のままで結婚できるのか?」と疑問を持たれることでしょう。うつ状態だと結婚式というめでたいことでも不安に駆られてしまいます。でもそのときは胸の痛みに耐えながらも、何とか乗り切ることができたのです。

さて、ゴールデンウイーク中は昼間は少しジョギングをして夜は22:00ころ就寝する毎日です。でも、寝ても覚めても頭痛とめまいと不安感はなくならないのです。目の痛みは目薬を指したら多少良くなりましたが、もう毎日暮らしていくのもやっとでした。いよいよ病気だと確信した私は、まず脳神経外科を受診しました。

頭痛とめまいがすると訴えてCTスキャンを撮ってもらいました。ところが、結果は「異常なし」です。
ほっとしたような気持ちもありましたが、釈然としません。費用は6,000円くらいかかりました(大がかりな検査の割には意外と安いかもしれない)。結局、睡眠時間を増やすことで夏場になってからやっと頭痛とめまいは最悪期を脱しましたが、不安感はなくなりませんでした。

 私は思いきって「心療内科」を受診することにしました。会社の知り合いも通っているという町医者です。入ると普通の内科と心療内科に受付が分かれています。私は心療内科のある左側の待合室に行きました。壁に大きく「パニック障害の症状」が列記されています。「・・・ある状況に接すると死ぬのではないかというくらいの恐怖を感じる」といった具合です。自分に当てはまるものもいくつかあります。

ほどなく自分の名前が呼ばれ、診察室に入りました。先生は50~60才くらいの方です。
「どうしましたか?」と聞かれたので、
「人前で話すときに異常なほど緊張する」「四六時中不安感に襲われる」と症状を訴えました。

すると先生は「スピーチのほかに同じように苦痛だと思うときはありますか?」と聞かれました。
「例えば、宴会とか会食するのはどう感じますか?」
私は「宴会とかも不安に思ってしまい苦手です」と答えました。
先生はカルテに「宴会恐怖」と書きました。
「会食とかはどうですか?」と聞かれたので「会食とかも苦手かも知れません」と答えました。
また、カルテに「会食恐怖」と書きました。もういろんな恐怖だらけになってます。

そして先生は「あなたの場合は社会不安障害というものです。いまではSADといってこういうパンフレットもありますのでよく読んでみてください。」と言われました。自分は「社会不安障害?SAD?あのCMでやっていたやつか」と思い当りました。でも自分はうつ病だと思っていたので釈然としません。

先生は「薬を出しておきますから。2週間分。1、2週間たつと効いてきます。」と言いました。私は疑心暗鬼になっていたので「薬というのはどういうものですか?」と尋ねました。すると「抗うつ剤です。それと薬が効くまでに抗不安薬も出しておきます。」と答えました。最後に「薬が効けばしめたものだ。」と表情を崩さず付け加えました。

そのあと体重を量って受診は終わりました。この間わずか10分足らずです。精神安定剤のようなものであれば抵抗は少なかったのかもしれませんが、私の話を2、3分聞いただけでいきなり抗うつ剤を処方されたわけです。自分にはこの先生は事務的に感じられました。そして渡された抗うつ剤を飲むのは抵抗がありました。まだ抗うつ剤を飲む自分を認めたくないという気持ちがあったのです。

 このころ私はうつ病研究の一環として「うつを克服する最善の方法―抗うつ薬SSRIに頼らず生きる」という本を読んでいました。 この本は抗うつ剤の副作用を警告していて、何種類も薬漬けになった挙句に更に悪化したとか、服用を突然中止したせいで犯罪を犯したなどといった怖い例をたくさんあげているのです。この本見るともう怖くて怖くて、とても抗うつ剤なんか飲むことはできません。まして10分足らずの診療では...。

私は薬をごみ箱に捨てました。「まだ薬なしでもやっていける。会社だって毎日行っている訳だし。」とか言って自分に健康であることを言い聞かせるようにしました。


「うつ」を克服する最善の方法―抗うつ薬SSRIに頼らず生きる (講談社プラスアルファ新書)

「うつ」を克服する最善の方法―抗うつ薬SSRIに頼らず生きる (講談社プラスアルファ新書)

  • 作者: 生田 哲
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/11
  • メディア: 単行本



兆候 ~5年前~ [兆候]

 3年目で調達グループに異動になりました。
今までの仕事とは畑違いですが、一日中計算しているよりはずいぶんマシです。

ところが異動の日、挨拶でつかえて頭が真っ白になってしまいました。
自分の言いたいことはあるのですが、異様に緊張するようになってました。
周りからはあがり症なのか?と思われてしまいました。

このころからなぜか不安感とせきたてられるような焦燥感を感じるようになりました。
そして胸が痛むのです。また、慢性的な頭痛にも悩まされるようになりました。
めまいがしてクラクラする。目の前がグルグル回って倒れそうになったことも何度もありました。

でも、会社には毎日行っているから病気だとは思えないんですね。
当時はパソコンによる眼精疲労だと思ってました。

 会社の周囲の人間も、メンタル面が原因で辞めて行く人がでてきました。
自分が夜中1時2時に帰ろうとするとまだ仕事している人がいるわけです。
10歳年上の社員ですが、もう見えるからにオーバーワークです。
大丈夫ですか?と聞くと「もう駄目かもしれない…。」と死にそうな声で返事します。
うつっぽいことを自覚しているわけですね。
次第に「うつ仲間」として互い励ましあうようになりました。

また、夜中に説教されている若手社員もいました。
「うつ仲間」は自分含めて3人4人くらいいましたから、たまにその若手社員を誘って
飲みに行きました。でも仕事が終わらないから夜9時くらいからスタートです。

うつになっている人は決まってストレス解消はしていると言うんですね。
「車を飛ばす」「ワールドカップ見にドイツに行く」などです。
傍目からみれば自分の好きなことをやっているように見えますが、これは「しがみつき」
といううつの傾向の1つです。このころから自分はもしかしたらうつ病なのではないか?
と考えていろいろネットやら本やらで調べるようになっていたのです。

当時読んだ本の中でも分かりやすかったのが「プチうつ気分にサヨナラする本」です。
この本はうつ状態を原始人にたとえて分かりやすく説明してくれています。
例えば原始人が傷ついてクタクタになったとき、外に出るのは危険です。
ここでうつの感情プログラムを発動して、不安を感じるようになれば、食料を取りに
出かけてクマに襲われるような危険を回避できます。

自分が感じていた不安感は将来の危険を予測するため、焦燥感は早く休息を取れという
信号だったのです。この若手社員もストレス解消の前にまず休息をとる必要があります。
でもうつには焦燥感があり、つい行動することでストレス解消しようとしてしまうんですね。

結局この若手社員は寮に引きこもってしまいました。最初はカゼということだったのですが
2週間、3週間たっても会社に出てきません。

心配した私はうつ仲間と一緒に寮に様子を見に行きました。ドアをノックしても出て
きません。部屋はもぬけの空なのか?でも電気メーターはわずかに回っているようです…!
もうドアから妖気みたいなのが漂ってます。残念ながら、復帰できないまま辞めて行きました。
原因は上司のパワハラですね。

後任の若手社員も同様にわずか1年で辞めて行きました。行方不明になったので、
寮に探しにいったのですが、ノックしても部屋にはいませんでした。
最後に荷物整理に会社に出てきてくれましたが、申し訳なさそうに私に挨拶して
くれました。

 そうこうしているうちにショッキングな出来事が。
うちの会社では新入社員研修中、1人部屋を2人で使うんです。
同じ部屋だった親友の同期がいたのですが、うつと診断されて寮に引きこもってしまい
ました。自分は早速話を聞きに行きました。その同期は技術屋だったのですが、
部内16人のうち、4人うつで会社にきていないというのです。同期も含めたら5人目です。
「うちの部署4人に1人うつ病なんだ」とか言ってました。

この同期も辞めて行きました。地元に帰った時ハローワークで求人を見つけて転職したのです。
ちなみにハローワークに行くことを勧めたのは私です☆
景気が上向いていた当時、ハローワークには意外にも良い求人があることをアドバイス
していたのです。でも、入社以来の親友を失ったのは大きな痛手でした。





「プチうつ」気分にサヨナラする本

「プチうつ」気分にサヨナラする本

  • 作者: 下園 壮太
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2007/01/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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兆候 ~7年前~ [兆候]

 入社した自分が配属になったのは経理部。
配属時に出身大学と抱負をはつらつと挨拶したのを覚えてます。

毎日ひたすら原価計算をして、担当部門の採算をまとめて経営陣に報告するのが仕事です。
夕方5時までが一応の定時でしたが、定時で帰るのは女性陣だけ。
通常帰るのは早くて夜の8時、平均すると9時ころでした。
遅い日だとと10時、11時になってしまいます。

 1年目は夜中まで仕事する自分が誇らしく思えたりしたのですが、2年目から次々と体調に異変が
生じるようになりました。就活中に苦しんだ胃痛が再発したのです。

自分は特異な体質で子供の頃からゲップが出なくて苦しんでいました。
食後はもうお腹ポンポコリンです。炭酸なんか飲んだ日にはもう苦しくてしょうがない。
それで、初めてゲップが出たのが大学時代。無理やり胃に力を入れてゲップを出したのです。
生まれて20年間ずっとため込んだゲップはメタンガスのようなにおいでした。

それ以来ゲップは出るようになったのですが、今度はゲップと同時に胃酸が逆流するように
なってました。胃カメラ飲んでも特に異常なしと診断されていましたが、毎日塩酸飲んでいる
ようなものですからね。もう意識がもうろうとして死にそうになりました。

もうだめだと思ったとき、これはゲップのせいだと気づいて意識的にゲップを我慢するように
したのです。そうしたら、日に日に良くなって胃痛はすっかり良くなりました。あと1カ月続いたら
会社やめようと決意していたので、この時は治って本当に良かったです。

 また、2年目には社会不安障害の初期症状と思われる症状が出てきました。
朝礼や会議が苦手になったのです。まだ朝礼で話をすることはなかったのですが、
見てるだけで「何か言わされるのではないか?」と不安になるようになったのです。
会議中もなぜだかわかならにほどに緊張するようになりました。

でも当時はまだ会社入ったばかりだから、周りは年上の人間ばかりです。
また、一日中パソコンと向き合っていることが多く、自己表現の場が少ないせいだと思ってました。

 この年は入社2年目ということでレポートを会社に提出する義務がありました。
普段の仕事内容に業界の市場動向をまとめたレポートです。
ワードで20枚程度書いたのですが、普段の仕事が減るわけではありませんからもう大変です!
夜9時くらいからスタートですが、その時点でもうクタクタだし何より腹が減ってます。

そのときは寮生活だったので、一旦寮に戻ってまずい夕食を食べてからスタートです。
必然的に夜中の12時過ぎの帰りになります。夜中2時3時までいる日も多かったです。
3か月間ほとんど1日中パソコンに向かってました。

締め切りが近づいてきて「土日も会社に行かないと間に合わない」という状況になりましたが、
どうしても土曜日は布団から起きられません。頭痛と胃の痛みがひどかったのです。
そのときはまだ胃痛は治ってなかったのです。頭痛は目が痛かったですね。
眼精疲労でクラクラする感じです。でも若かったのもあり何とか締め切り前日に徹夜して
間に合わせました☆




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プロローグ [兆候]

 大学卒業して、今の会社に勤務したのが今から8年前。
東京の私大を卒業してそのまま東京に就職するか、それとも故郷にUターン就職するか?
私は、子供の頃なんとなくあこがれていた某メーカーに就職することになった。
東京にも残らず、故郷にも帰らず中途半端な感じになってしまった。

それでも、当時は不況真っ最中。就職活動中に面接中では汗だらだら出るし、胃が痛くなって
胃カメラ飲んだり、挙句の果てに血便が出るなど、なかなか辛い思いをしながら東京砂漠を
さまよってやっとつかんだ内定だったのです☆

1か月の研修期間を経て、自分は工場勤務となりました。
同期は50人くらいいましたが、事務系はみんな営業行く気満々でしたからね。
同期の間では工場よりも、本社勤務を希望する人が多かったです。

もともとあまりべしゃりの不得意な自分は「もう工場勤務でいいや」と思って、研修期間中も
質問とかせずにのんびりやっていました。

あまりやる気なさそうに見えますが、このころは将来は一旦は工場で製品知識を得て、
将来は異動して売れる営業マンを目指そうなんて思ってました。
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わずか1分で出来る「心と体の元気回復法」

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